浦和地方裁判所川越支部 昭和42年(ワ)27号 判決 1968年5月27日
原告
大上和子
ほか二名
被告
明光製紙株式会社
主文
被告会社は、原告和子に対し金二九二万三、六五九円及び内金二五六万四、六一四円に対する昭和四〇年三月一三日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告彰一に対し金三三二万六、一七一円及び内金二九一万七、六九四円に対する同日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告いつみに対し金三三二万六、一七〇円及び内金二九一万七、六九三円に対する同日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を各支払え。
訴訟費用は被告会社の負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
事実
原告等訴訟代理人は、主文同旨の判決を求める旨申し立て、その請求原因として
一、被告会社はその所有の大型貨物自動車静一そ四一七〇(以下事故車という)を訴外近藤槇夫に貸与しこれでもつて同人に被告会社の製品を専属的に運搬させていた。そして右近藤は昭和四〇年三月一二日その使用人である訴外運転手秋山光弘、同助手本沢政三の両名に右事故車を運転させて右運搬業務に従事させた。ところが右秋山は同日午前六時二五分頃無免許の助手である右本沢に事故車を運転させ次のような事故を引き起させた。
即ち、本沢は、同時刻頃事故車を運転して埼玉県入間市扇町屋二七六番地先道路上を八王子方面から狭山方面に向け進行中、対向して来たダンプカーにのみ気をうばわれ、道路左端を自転車に乗つて同方向に進行していた被害者訴外大上智佐雄に気付かず、不用意にハンドルを左に切つた過失により、事故車の左側前部を同自転車に接触させて同人をその場に転倒させたうえこれを轢断し、因つて同人に腹部挫滅、内臓破裂、腰椎骨折等の傷害を負わせ、その結果同人を即死させた。よつて被告会社は自賠法第三条本文の規定により事故車の運行供用者として後記損害を賠償する義務がある。
二、被害者智佐雄及び原告等の受けた損害等は次のとおりである。
(一) 智佐雄の得べかりし利益の喪失による損害は金一、二二二万九、七〇一円である。同人は事故当時防衛庁統合幕僚会議事務局に勤務していた自衛隊員(死亡により二等空佐)であつてその昭和三九年度の総収入は金一〇六万九、〇二七円であつた。そしてその源泉徴収税は金五万六、七〇〇円、社会保険料は金四万三、三一四円、生活費は金一八万円(一箇月につき金一万五、〇〇〇円)であつたからこれ等を右総収入から差し引いた金七八万九、〇一三円が同人の一箇年の実収入である。しかるところ、被害者智佐雄は死亡時満四一才の健康体男子であつたから、その余命は二九、九七年(厚生大臣官房統計調査部管理課刊行の第一〇回生命表による)であり爾後の就労可能年数は二四年間であるとみられる。したがつて前記実収入の二四年分金一、八九三万六、三一二円が右智佐雄の本件事故によつて受けた得べかりし利益の喪失による損害の総額であるところ、一年毎に中間利息を控除する計算方法によるホフマン式計算法によつて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除した金一、二二二万九、七〇一円が事故当時一時に請求し得べきその利益喪失による損害額となる。
(二) 原告和子は右智佐雄の妻、原告彰一及び同いずみはその長男及び長女として右(一)の損害賠償請求権中各三分の一の金四〇七万六、五六七円の債権を相続によつて取得した。
(三) 被害者智佐雄は原告等一家の柱として経済的にも精神的にもその支えとなつていた。原告和子は一瞬にしてその夫を失い以後独力で幼い原告彰一(昭和二九年六月八日生)及び同いづみ(昭和三一年七月二五日生)の両名を養育していかなければならなくなつたがその精神的苦痛は筆舌に尽し難くこれを慰藉するには金一五〇万円が相当である。また原告彰一、同いづみは幼くして前記のように一家の柱である頼るべき父親を失い計り知れない打撃を受けた。その苦痛は察するに余りがありこれを償うとすれば各金一〇〇万円が相当である。したがつて本件事故により原告和子は金一五〇万円の、原告彰一、同いづみはそれぞれ金一〇〇万円の各精神的な損害を受け同額の慰藉料請求権を取得した。
(四) 原告等の以上の損害賠償債権を合算すれば、原告和子のそれは金五五七万六、五六七円、原告彰一、同いづみのそれはいずれも金五〇七万六、五六七円となるが、原告等は自動車損害賠償保険より金一〇〇万円の補償を受けたからこれを三分してその各一を原告等の右各金額から差し引き、更に原告和子は国家公務員災害補償として金二六七万八、六二〇円の支給を受けたのでこれを同人の右金額から差し引けば、原告和子の債権は金二五六万四、六一四円、原告彰一、同いづみのそれは各金四七四万三、二三四円となる。そこで本訴で原告和子は右金二五六万四、六一四円全額を、原告彰一は内金二九一万七、六九四円を、原告いづみは内金二九一万七、六九三円をそれぞれ請求することとした。
(五) 原告等は、被告会社が本件事故による損害賠籍につき誠意を示さなかつたのでやむなく弁護士平岩新吾、同宮島康弘に対し被告会社に対する損害賠償請求訴訟を委任し、これについて、同弁護士等の所属する第一東京弁護士会の弁護士報酬規定が定める手数料、謝金共債権額の七分乃至一割四分とする基準中最低のものにより、原告和子は金三五万九、〇四五円を、原告彰一、同いづみはそれぞれ金四〇万八、四七七円を第一審判決言渡と同時に各支払う旨約し、同額の債務を負うに至つたが、右弁護士費用は本件事故により通常生ずべき損害であるからその賠償を求める。
三、よつて原告和子は右二の(四)の金二五六万四、六一四円と同(五)の金三五万九、〇四五円の合計金二九二万三、六五九円、原告彰一は同(四)の金二九一万七、六九四円と同(五)の金四〇万八、四七七円の合計金三三二万六、一七一円、原告いづみは同(四)の金二九一万七、六九三円と同(五)の金四〇万八、四七七円の合計金三三二万六、一七〇円及び上記金員より同(五)の弁護士費用を控除した残額に対しそれぞれ本件事故発生日の翌日である昭和四〇年三月一三日より完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
と述べた。〔証拠関係略〕
被告会社訴訟代理人は、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め、答弁として
一、請求原因第一項記載の事実中、近藤槇夫が昭和四〇年三月一二日その使用人秋山光弘、同本沢政三の両名に原告等主張の事故車を運転させて被告会社の製品を運送させたとの点及び原告等主張の日時場所で大上智佐雄と運転免許を有しない右本沢運転中の事故車が接触し右智佐雄が死亡したとの点はいずれもこれを認めるが、その余は否認する。
二、請求原因第二項記載の事実中、大上智佐雄が自衛隊員であつたこと、原告等がその主張のように合計金三六七万八、六二〇円の補償を受けたこと及び弁護士報酬規定の基準が原告等主張どおりであることはいずれもこれを認めるが、その余はすべて争う。
三、被告会社は事故車の運行供用者ではない。
(一) 右事故車を最初に買い受けたのは独立の運送業者訴外中村昭二である。同人はその営業のために昭和三九年三月事故車を代金月賦払で購入したのであるが、その際従来から取引のあつた被告会社から同人振出の約束手形を借り受けこれを売主静岡三菱ふそう自動車販売株式会社に交付した。そこで被告会社は毎月中村に支払うべき運送代金の中からその月の割賦金相当額を差し引いてこれを右手形金の支払に当てていた。しかるところ中村は昭和三九年一二月頃倒産したのを機会に事故車を当時被告会社と取引のあつた近藤槇夫に売却した。近藤は中村が既に支払つた前記月賦代金に相当する金四五万円を同人に支払つて事故車の引渡を受けこれを自己の運送業に使用して来た。なお、割賦残代金の支払については近藤が中村の地位を承継することとし、従つて被告会社は毎月近藤に支払うべき運送代金からその月の割賦金相当額を差し引いてこれを右手形金の支払に当てて来たものである。
(二) 近藤は事故車の外にも大型貨物自動車一台を所有して独立の運送業を営み配車も自己の判断で行つて来た。したがつて被告会社が注文した製品の運送にどの自動車が配車されるかは被告会社の全くあずかり知らないところであつた。
(三) 以上のとおりであるから本件事故時点における事故車の実際の使用者は右近藤であり同人がその運行を支配していたものである。
四、仮に被告会社が事故車の運行供用者であつたとしても、次のとおり自賠法第三条但書による免責事由があるから損害賠償の義務はない。即ち
(一) 本件事故は運転者本沢の過失によるものではなく専ら被害者智佐雄の過失によるものである。(イ)本件事故当時智佐雄は和服の着流しで自転車を運行していた。自転車は安定の悪い車両であり運転者の身体は全部外に出ているのであるから和服のような機敏な処置のとれない服装で運転するときは袖や裾を他にひつかける等して不測の事故を招くのでこのような服装は避けるべきであつた。仮にそのような服装で運転するとしても、そのときは自動車等の通行しない道路或いは通行区分帯のある道路を徐行して事故の発生を防止すべきであるのに、智佐雄はこれを怠り前記の服装で交通ひんぱんな本件現場道路を毎時約四〇粁の速度で通行した。(ロ)本沢の運転する事故車は当時時速四〇粁で進行し現場手前約三〇〇米の地点で智佐雄運転の自転車に追いついた。追いつかれた智佐雄は道交法第二七条の法意に則り自車の速度をあげてはならずまた出来るだけ左に寄り事故車に進路を譲るべきであつたのにこれを怠りたまたま道路がゆるい下り坂であつたこともあつて速度をあげ事故車と同一速度でその左側を進行した。しかも本件事故現場直前の左端道路上には横断歩道の標識が立ててあつて自転車の進路を変えずに右標識と事故車との間を通り抜けることは出来なかつたのであるから、その手前で充分徐行するか一旦停止して事故車を通過させた後右標識の右側を通過すべきであつたのに、智佐雄はその間を通過出来ると速断し漫然同速度で進行し標識の手前でハンドルを右に切つた過失により自車を本沢の運転していた事故車の左側燃料タンクの吊金具に接触させ本件事故を起すに至つたものである。
(二) 右のように本件事故が智佐雄の一方的過失に基く以上被告会社が事故車の運行について注意を怠つたとは言えない。
(三) また事故車には当時構造、機能のいずれにも欠陥はなかつた。
五、本件事故は右に述べたとおり被害者智佐雄の過失に基くものであるから、本沢に過失があり被告会社に損害賠償の義務があるとすれば過失相殺の主張をする。
と述べた。〔証拠関係略〕
理由
一、近藤槇夫が昭和四〇年三月一二日その使用人である運転手秋山光弘、同助手本沢政三の両名に原告等主張の事故車を使用させて被告会社の紙製品の運送に従事させたこと、その運送途上の同日午前六時三五分頃埼玉県入間市扇町屋二七六番地先道路上において免許のない右本沢運転中の右事故車と同所を自転車に乗つて進行していた大上智佐雄とが接触しこれによつて同人がその場に転倒し事故車に轢断され死亡したことは当事者間に争がない。
二、そこで被告会社の責任原因について案ずるに、〔証拠略〕によれば、事故車の最初の買受人は中村昭二であること、同人は昭和三八年三月頃事故車を静岡ふそう自動車販売株式会社から月賦で買い受けその無免許運送業に使用していたものであること、しかるところ被告会社から右売買代金支払のため約束手形が振出されこれが右売主に交付されたこと、その手形の振出は中村が事故車を使用して被告会社の製品をその指示どおり継続且つ専属的に運搬しその運送代金の中から中村の同社に対する右手形金求償債務を完済する旨誓約したことによるものであること、爾後中村は右約旨にそう運搬を続け被告会社はその運送代金中から相殺勘定によつて右求償債権の支払を受けていたこと、また被告会社は事故車の使用者名義並びに自動車損害賠償責任保険の保険契約者名義をいずれも被告会社としその使用の本拠の位置を被告会社の肩書住所地とし事故車の車体には被告会社の商号を表示させこれによつて前記求償債権を担保すると同時に中村の無免許運送業を幇助し協力して来たものであること、中村の被告会社製品の運送賃は同社の意思に従い一般業者のそれよりも相当に低廉であつたこと、しかるところ被告会社は昭和三九年一二月頃中村がその所有の他の自動車の交通事故によつて多額の損害賠償債務を負担し営業能力を失うに至るや同人所有の本件事故車をやはり運送営業について免許のない近藤槇夫に買い取らせ同人をして右中村の従前の地位を承継せしめ中村同様に処遇し事故車によつて被告会社の製品を継続且つ専属的にしかも低廉に運送させていたこと等の事実を認めることが出来、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。してみると、近藤槇夫の本件事故車による運送営業は被告会社に完全に従属していたということができるばかりでなく、被告会社は事故車の運行により自社の製品を自家用車で運搬するのと殆んど同様の利益を享受していたことが明らかであるから、近藤槇夫のみならず被告会社もまた事故車を自己のために運行の用に供していた者といわざるを得ないのである。
三、しかるところ、被告会社は自賠法第三条但書による免責事由ありと主張するのであるが、被告会社主張四の(一)の(イ)にいう智佐雄の和服の着流しによる自転車の運行が本件事故の原因であつたことを認めるに足りる証拠も、同(ロ)にいう智佐雄がハンドルを漫然と右に切つた過失によつて右事故を引き起したことを認めるに足りる証拠もない。のみならず、〔証拠略〕によれば、本件事故は原告等主張の日時場所において事故車を運転していた本沢政三が対向して来たダンプカーにのみ気をうばわれ道路左端を自転車に乗つて同方向に進行していた被害者智佐雄に気付かずハンドルを不用意に左に切つた過失によるものであることが認められるのであるから、その余の判断をまつまでもなく右被告会社の主張は理由があるとは言えないのである。
四、よつて被告会社は本件事故から生じた損害を賠償する義務あるものといわなければならない。
五、そこで進んで右損害等について審案する。
(一) 〔証拠略〕によれば、本件事故の被害者智佐雄は防衛庁統合幕僚会議事務局に勤務していた自衛隊員であつて(自衛隊員であつたことについては当事者間に争がない)その一年間の総収入は金一〇六万九、〇二七円、その源泉徴収税は金五万六、七〇〇円、社会保険料は金四万三、三一四円、生活費は金一八万円(一箇月につき金一万五、〇〇〇円)であつたことが認められるから同人の一箇年の実収入は金七八万九、〇一三円を下らないものであつたことが明らかである。また右証拠によれば同人は死亡当時満四一才の健康体男子であつてその余命は二九・九七年であり爾後の就労可能年数は二四年間であるとみられるから、その二四年間の得べかりし利益は金一、八九三万六、三一二円であり、ホフマン式計算法によつて民法所定の年五分の割合による中間利息を控除すればその総額は金一、二二二万九、七〇一円となり、これが同人の本件事故によつて蒙つた得べかりし利益の喪失による損害であるということが出来る。そして右証拠によれば原告和子は智佐雄の妻でありその余の原告はいずれもその子であつて右損害賠償請求権を三等分し各その一の金四〇七万六、五六七円を相続したことが認められ、反証はない。
(二) また、〔証拠略〕によれば原告和子は昭和二八年三月二六日智佐雄と結婚しその間に長男彰一、長女いづみをもうけ幸福な生活を営んでいたところ本件事故によつて一家の支柱ともいうべき最愛の夫を失い悲嘆のどん底におちいつたばかりでなく爾後子供等の養育と一家の生活維持のために一箇月約一万円位の収入を求めてカーテン縫製等の内職に励まざるを得ない状況にあることが認められるのでその精神的苦痛を慰藉するには金一五〇万円が相当である。また原告彰一、同いづみは幼くして最愛の父を失つたのであるからその苦痛は相像に余りがあるのであつてこれを慰藉するには各金一〇〇万円が相当である。したがつて本件事故により原告和子は金一五〇万円の、原告彰一、同いづみはそれぞれ金一〇〇万円の各精神的損害を受け同額の慰藉料請求権を取得したということができる。
(三) 原告等の以上の損害賠償権を合算すると、原告和子のそれは金五五七万六、五六七円、原告彰一、同いづみのそれはいずれも金五〇七万六、五六七円となるところ、原告等が自動車損害賠償保険より平等の割合で合計金一〇〇万円の補償を、原告和子が国家公務員災害補償として金二六七万八、六二〇円の支給を各受けたことは原告等の目陳するところであるから、これを差し引くと原告和子の債権は金二五六万四、六一四円、原告彰一、同いづみのそれは各金四七四万三、二三四円となることは計数上明白である。
六、被告会社は被害者智佐雄にもその主張四の(一)の(イ)、(ロ)のような過失があつたから過失相殺を求める旨主張するが、前記のとおり右智佐雄の過失を認めるに足りる証拠はないのであるから右主張は採用することができない。
七、而して、本件の訴訟代理人弁護士両名が第一東京弁護士会に所属し、同弁護士の弁護士報酬規定による報酬の基準が原告等主張のとおりであることは当事者間に争がなく、前記南原喜代一の証言によれば、被告会社が本件損害賠償につき誠意を示さなかつたので、原告等は、同弁護士等に本訴の提起を依頼し、これについて第一審の判決言渡と同時に原告和子は右基準中最低率による金三五万九、〇四五円を、原告彰一、同いづみは各同様の金四〇万八、四七七円をそれぞれ支払う旨約束したことが認められるところ、右は被告会社の上記認定の態度から見て権利の伸長上必要、相当の支出であると認められるから本件事故と相当因果関係に立つ損害と見るのが相当である。
八、よつて、被告に対し、原告和子の右五の(三)の金二五六万四、六一四円と七の金三五万九、〇四五円の合計金二九二万三、六五九円及び右金二五六万四、六一四円に対する本件事故発生日の翌日である昭和四〇年三月一三日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告彰一の右五の(三)の金四七四万三、二三四円の内金二九一万七、六九四円と七の金四〇万八、四七七円の合計金三三二万六、一七一円及び右内金二九一万七、六九四円に対する同日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告いづみの右五の(三)の金四七四万三、二三四円の内金二九一万七、六九三円と七の金四〇万八、四七七円の合計金三三二万六、一七〇円及び右内金二九一万七、六九三円に対する同日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める本訴請求は全部正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 野原文吉)